476 パワーヒッターばかりだったが、自分の真っすぐ、変化球を試しながら投げた。しっかりコントロールすれば、力のある外国人も抑えることができる。BCリーグの外国人に対しても通用しました 長谷川潤2015/10/24 09:43
478 最初はアンダースローでした。10歳年上の兄の影響で、6歳から野球を始めたけど、兄がアンダースローで、そういうものだと思っていました(笑い)。でも、だんだん上がってきて、小学4、5年の頃にサイドに 長谷川潤2015/10/24 09:44
480 大学4年秋のノーヒットノーラン達成です。大学3年で(世界大学選手権の)日本代表候補に選ばれた後は、右肩を故障して大変な思いをしたけど、最後に頑張った結果が出ました 長谷川潤2015/10/24 09:45
482 ミリオンスターズでの野球が、僕を成長させてくれた。このチームで野球ができて良かったです。自分は150キロを投げるピッチャーでもない。自分の個性を見いだして、長い間、1軍で活躍したいです 長谷川潤2015/10/24 09:46
483 巨人から育成ドラフト8位指名を受けた、BCリーグ・石川ミリオンスターズのサイド右腕・長谷川潤(24)が23日、出身校の金沢学院大を訪問、新天地での決意を語った。金沢学院大3年の時に世界大学選手権の日本代表候補に選出されたホープ。昨年、BC石川に入団して力を伸ばし、その将来性を高く評価された。幼い頃から憧れていた巨人で飛躍を誓った。 運命のドラフト会議から一夜明け、長谷川は晴れ晴れしい表情を見せた。母校の金沢学院大を訪れると、職員らが拍手で祝福し、秋山稔学長から激励を受けた。「昨日は1日中、ドキドキして落ち着かなかったけど、ようやく実感が湧いてきた。石川の地で6年間、支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです」。笑顔で職員から花束を受け取った。 念願のプロ入りがかなった。東京出身で、幼い頃から何度も東京ドームに足を運び、巨人を応援してきた。全盛期の松井秀喜さん(41)や、巨人の来季監督要請を受諾した高橋由伸外野手(40)のプレーを目に焼き付けた。「小さい頃は、ぼんやりとプロ選手になりたいと思っていたが、プロに絶対になろうと思ったのは大学に入ってから」と振り返った。 匿名さん2015/10/24 09:51
484 最大の武器は、スライダーだ。186センチの長身サイド右腕で、右打者に対し、外に逃げるスライダーはNPBでも大きな切り札となる。昨年は木田優夫(47、現日本ハムGM補佐)に技術指導を受け、今季はフリオ・フランコ前監督(57)にメンタル面の重要さを学んだ。「毎日たくさんのことを聞いて、成長できました」と感謝した。 ドラフトでは全球団で最後となる116人目の指名となった。「育成なので、あとははい上がるだけ。1年目からどんどんアピールして、1軍で活躍したい」と長谷川。競争を勝ち抜き、東京ドームでの登板を目指す。 ◆長谷川 潤(はせがわ・じゅん)1991年6月15日、東京都生まれ。24歳。成立学園高、金沢学院大。北陸大学野球リーグでは3年春秋にベストナインに選出。14年にBC石川に加入し、今季リーグ戦は17試合に登板し、4勝9敗。防御率4・33。186センチ、74キロ。右投右打。家族は祖母、両親、兄。好物は肉。血液型B。 匿名さん2015/10/24 09:53
485 とにかくデカかった。1993年10月21日、父・忠俊さん(56)と母・幸子さん(53)の間に生を受けた桜井家の長男坊は、誕生時で3946グラム。お母さん子で、幸子さんから「トシくん、トシくん」とかわいがられ、すくすく育った。幼稚園では、ほかの子より頭一つ以上抜きんでる存在に。身体能力も抜群。幼稚園の庭でボール投げの実測テストを行った際は、園外に飛びださんばかりの“剛速球”を投げ、測定不能で記録なしに終わった。 小学校に入っても「手も大きくて、体もがっちりしていたので、よく誘われたみたいです」。そう幸子さんが振り返る通り、自宅マンションの近くを歩いていると、空手道場から再三の勧誘を受けた。おとなしい性格だった俊貴少年は、半泣きになりながら必死で逃げた。「野球がやりたい」。同じマンションに住む4人の幼なじみと、敷地内でバットを振り回すのが当時の日課。その楽しみを奪われたくなかった。 匿名さん2015/10/24 17:30