514 >>505 コミンフォルム(Коминформ) 正式名称は共産党・労働者党情報局 設立 1947年 設立者 ヨシフ・スターリン 「50年問題」 ソ連がコミンフォルム加盟政党への統制を強めるにつれて、1950年1月6日、機関紙『恒久平和のために、人民民主主義のために!』に発表した「日本の情勢について」で、米軍主体の占領軍を解放軍と規定して⭕平和革命を掲げた日本共産党の路線を誤りと指摘した。 当初日本共産党はこれをデマと見做し、1月8日に中央委員会・統制委員会連名で「党撹乱のデマを打ち破れ」と声明を出したが、これが事実であることが間もなくわかり、党に混乱が生じた。 徳田球一書記長ら党主流派はコミンフォルム批判に対し「日本の情勢を十分考慮していない」と反論する『「日本の情勢について」に関する所感』を1月12日に発表。 逆に⭕コミンフォルムに賛同する宮本顕治はこれに反発して「右翼日和見主義」などと徳田らを攻撃。 コミンフォルムの干渉のため日本共産党は徳田ら所感派、宮本ら国際派に内部分裂し、更にその後、党の武装方針を定めた51年綱領が打ち出された。 匿名さん2023/07/25 00:384
743 >>503>>514 座談会『日本共産党の百年』を語る しんぶん赤旗 2023年8月16日(水) 田中悠書記局次長 山口富男社会科学研究所副所長 村主明子学習・教育局長代理 国民運動委員会 岩崎明日香 第二章 戦後の十数年と日本共産党(1945〜61年) (1)敗戦後の政治体制の変化と党の発展(1945〜49年) (2)スターリンの干渉と「五〇年問題」(1950〜55年) (3)六一年綱領の決定と自主独立の立場の確立――「五〇年問題」の教訓(1955〜61年) 山口 第2節は、スターリンの干渉と「五○年問題」です。党の前進を恐れて、立ちふさがってきたのはアメリカ占領軍です。党を「民主主義の破壊者」と攻撃し、松川事件その他の謀略事件を、党と労働組合が引き起こしたかのように宣伝して弾圧に出ました。 この時期に、より深刻な形でわが党の進路を破壊したのが、ソ連のスターリンによる謀略的な干渉でした。この干渉に呼応して分派をつくった人々が、公職追放という、中央委員会への弾圧を利用して、中央委員会を解体、党を分裂させる暴挙に出る。 匿名さん2023/08/17 07:113
744 >>743>>514 これが今日、私たちが「五○年問題」と呼んでいる、党に危機的な事態をもたらしたわけです。『百年』史では、スターリンの干渉作戦の全貌が、彼の打った具体的な手だてを含めて、ソ連解体後に明らかになった資料と、その後の研究も踏まえて明らかにしています。 田中 この時期を一つの章にしてみると戦後、党の活動が合法的地位を獲得し、占領下での活動から綱領路線が確立され、また自主独立の立場を定めるまでの波瀾万丈の歴史を一つながりに捉えることができる。分かりやすいまとめだと思いました。 党史上の最大の危機、「五○年問題」という問題を克服し、その痛苦の体験の中から今の綱領路線につながる非常に大事な方針を導き出していく。武装闘争方針の否定から今の路線がつくられていったことは、共産党は、「いざというときには暴力革命を捨てていない」というような論に対して、歴史の事実から明快に反論していると思いました。 匿名さん2023/08/17 12:48
745 >>743>>514 岩崎 私もこの章が一番、一つの章にこの期間を区切ったことの意味を考えながら読みました。党史上の「きわめて重要な時期」ということに関わって、志位委員長が記者会見で、党分裂という最悪の危機を乗り越え、自主独立の路線と綱領路線という未来ある路線を打ち立ててきた、先達の理性と勇気に深い敬意を覚えざるを得ません、と言われたことがすごく印象に残っています。 特に、「五○年問題」の歴史的教訓が三つ書かれているところで、この第3の、党の団結と統一を守ることを「党の生死にかかわる重要性」というような強い表現、掘り下げた記述になっているのはよくつかみたい中身だと思っています。 山口 「党の生死にかかわる」との叙述にも、この時期の重要性が反映しています。 村主 「党史上の極めて重要な時期」として、本当に苦労したときだった。その中から攻撃に立ち向かう足場をつくり、踏み出した先輩たちの苦闘と開拓は、現在の党の安保政策に対する攻撃、党の組織のあり方への攻撃に対しても、これは絶対に打ち破れる、打ち破らねばという確信を与えてくれます。 匿名さん2023/08/17 18:02
746 >>743>>514 私は「党首公選制にすればいいじゃない」と言う方には派閥や分派をつくることがどんなに党にとって有害なことか、この時期の苦闘を知っていただきたい。特に若い党員の方には諄々とこういうことがあってね、こうだったんだよ、というように伝えていきたい。 山口 日本共産党の自主独立の路線、綱領路線と組織路線が生まれてくる現場なんですね。 田中 綱領の決定は第7回大会では現状規定と当面の革命の性格をめぐる不一致があることを踏まえて見送り、第8回大会まで引き続き討議します。単に議論だけで解決していくのではなくて安保闘争をたたかい、そして党づくりに挑戦しながら、その実践の中で綱領路線を定めていく過程が書いてあるのも非常に大事な点です。その中に日曜版の創刊もありますし、やっぱり党勢拡大を「目標と計画」を持って進めていく。この実践を通して綱領路線の確かさを全党の認識にしていく過程が叙述されています。 山口 「敵の出方」に関わる用語の意味とこの用語を廃棄した経過も詳しく書かれています。党に対する事実に基づかないさまざまな攻撃に対して党史上答えておく必要があるものは盛り込まれています。 匿名さん2023/08/17 22:43