時間的には多少後のことになるが、彼らは宮沢に会見を申し入れた。かつて49年の田中退陣の後、坂本、塩谷たちは河野洋平と共に やはり宮沢を訪れて
ー公選による総裁の選出。
ーその際の宮沢の出馬。
これを要請したことがあった。その時と今と似た場面であった。先の時、宮沢は
「自分は公選になれば大平正芳と書かざるを得ない」
とこれを断った。今度の場合も
「皆さんのお気持ちはわかるが、今はそういう時期ではない」
同じように彼らの申し入れを固辞した。
小坂徳三郎はその率いる新風政治研究会の会合で
ー議員総会による公選。
を主張し、兄の善太郎は
ー勝敗は問題でなく、自民党の改革のために公選の場合は出馬する。
という意見を表示した。

三木内閣が倒れた時、今度は親友で三木派の川崎秀二君から「総裁選に出ろ」と熱心に勧められた。千代田会にも三木派が多かった。ところが暫くすると内田常雄幹事長が来て「先生を応援すべきだと思いますが、弟さんもやりたいと言ってるそうですよ」と言う。弟の徳三郎に本当に出馬する気があったのかどうかは分からない。しかし「兄弟牆に鬩いで」二人とも落選では笑い者だと思い、見送ることにした。 (小坂善太郎)

それにしても党の底流にある三福相殺の意見も、既成実力者を排する新流論も、大きな起爆剤とはなり得なかった。それは自民党総体が選挙の敗北ゆえに、ある種の虚脱感にとらわれていたからだ。また福田、大平など既成の実力者を除いては、宮沢喜一にしても小坂徳三郎にしても、まだ総理総裁たるべき用意が整っていなかった。竹下登、安倍晋太郎は若きに過ぎた。中曽根康弘はまた 沈黙の中にあった。
所詮、底流にある新流論を引火させ、爆発を起こさせるに足る条件が自民党にはなかったのだ。
なんとない燻りの中に三木退陣、福田後継が既定の事実のように凝結されていった。
「福田にもっていく以外、方法はない」
と椎名悦三郎副総裁、前尾繁三郎衆議院議長、灘尾弘吉の賢人会でも そうした結論が導き出された。口の悪い椎名が
「デモ、シカ総裁・総理だな」
といったものである。つまり
ー福田しかいない、福田でも仕方ない。
ということだった。
そうした状況の推移の中で、三木も自らの退陣を決意するより他やむを得なかったし、また福田後継を認める以外 なす術はなかった。

内田幹事長、松野総務会長、桜内義雄政調会長たち執行部も流れのままに三木退陣を既定のこととして
ー後継者は話し合いで一本化する。
ー23日に両院議員総会を開き、福田を総裁ー 首班候補に決定する。
と政局運営の方針をとり決めた。13日のことである。
ただ三木としては、党近代化の三木をもって鳴っていた自分が、総理総裁時代に総裁公選規程の一つさえ改正し得なかった事実ー それが今となっては悔やまれた。三木は内田幹事長たち三役に
「最後に党改革に関する提案を残したい」
といった。三役もそのことに異存はなかった。
三木は11日、12日の土、日曜を真鶴の別荘で過ごした。そこで改革構想を練り上げた。
三木は党近代化案の草稿にペンを走らせながら、かつての池田勇人内閣でのある経緯を回想した。
池田は政権の座につくと党近代化調査会を設置した。その会長には反池田で党風刷新連盟ー 福田派を形成した福田赳夫を起用しようとした。
ー福田の腋の下をくすぐって文句をいわせなくする。
そういう狙いが池田首相と前尾幹事長にはあった。

それを読んだ福田は拒否した。会長のお鉢は三木に回ってきた。かねてから近代化を主張する三木が適任 という判断からであった。
三木は会長になって一年余、近代化案を作成して池田首相に提出した。池田は具体的には何一つ採り上げなかった。三木は池田に食ってかかった。
「せっかくの案を あなたが無視して何も実行しない。 “三木はいうだけの評論家” といわれるのは あなたのせいだ……」
しかし その三木も池田退陣から十年目に政権の座につき、二年にわたって政権を担当したものの 党改革は為すことなく終わりを告げようとしている。
ー総理総裁になってみると 意思通りには運べない枷がある。何もかも難しいことなのだ……。
三木はひそかに吐息をついた。

総選挙の敗北による虚脱感が自ずと三木から福田への政権移譲を固め上げていく中で、福田は
ーここで徒らに三木を刺激しては混乱が生ずる。
そう配慮し姿勢を低くしつつも、その裏側で大平と共に福田政権ー 組閣への準備を進めていった。
「君には幹事長をお願いしたい」
と福田は大平に頭を下げた。

大平幹事長という人事案は 先の三木内閣改造の時に福田が持ち出したことであった。三木が採択しないであろうことを知りながらも、福田がこれを提案した。それは大平に対して
ー僕の政権ができれば 君を幹事長に。
という意思を表示するものであった。と同時にそれは
ー僕が辞めた後は 君に政権を禅譲する。
という約束の別の表現でもあった。
幹事長の椅子は総裁への跳躍台といわれている。それは幹事長になれば党内の各派、各議員の間に勢威と親近とで人間関係の根を張ることが可能で、勢い次期あるいは将来の総裁になるために有利な地歩を確保できるからー である。その辺を考えての福田の配慮を大平は多とした。そこに大福連合が出来たキイがあった。
さらに福田は淡々と
「僕は一期つとめればよい」
そのようにいい添えた。
それは二年後には大平に譲るということであった。口の巧くない大平は
「幹事長として全面的に協力しましょう」
という短い言葉の中に福田への謝意の全てをこめて そう答えた。福田は
「それにしても与野党がこういう状況になった以上、自民党は挙党体制を作らねばならない。

その意味で君の方に人事上、不満な点が生ずるかも知れないが、これは忍んでもらいたい」
と大平に注文を出した。大平としては自らが幹事長となって次の総裁を期す以上、やはり挙党体制が望ましいことは福田と変わりない。大平は答えた。
「異存はありませんよ」
この話し合いは赤坂の料亭でのことで、そこには保証人役として保利茂、大平の介添人として田中六助が同席していた。
福田にとって大平に続いて協力、支援を求めなければならないのは、形の上では無所属にいる田中角栄であり、また旧田中派七日会であった。
田中角栄は8月の出所以来はじめて目白の私邸で旨い味のブランディを飲むことができた。としても
ー裁判が結審するのはいつか？
そこに突き当たると田中も吐息を洩らした。
ー無罪は確信している。だがそれまでに三年かかるか、五年かかるか。
もちろん田中は福田、大平の後の復辟を考えている。だがその三年ないし五年の間に政界はもちろん、自民党の内側にどのような変化が起こるかは、やはり予測し難いところである。ただ田中は
ー47年に総裁の椅子を争ったのは三角大福の四人だった。ようやく角三を経て福の政権に至ろうとしている。

この後、大の政権を誕生させなければ……。
当面はそこに目標をおいた。
ー強力な保守本流体制は 福田、大平政権の二代の間に作り上げる。
という点では角福の意思はとうに一致していた。当然そこから田中も
ー大平幹事長。
を希望していた。その他、田中が望むところは
ー旧田中派七日会会長・西村英一の副総理起用。また七日会からの総務会長ないし政調会長の起用。
という案であった。
後に至って旧田中派の西村に副総理の肩書きを与えることに福田派の内部から抵抗があって、組閣の時にはそれは外され、諒解事項として “事実上の副総理” ということになるがー
「それ以外、おれは注文はない」
と田中は福田にいった。
それで福大角の三派連合は固まったものの、挙党体制を作るに当たっては今度は反主流化する三木、中曽根派の処遇が 福田にとっては大きな懸案であった。
このうち中曽根康弘はー 先の三木おろしの時に幹事長としての政治生命を賭けて事態の収拾を実らせた。そのあと舞台裏に退いて ひたすら沈黙を守り続けている。
としても中曽根派は今度の総選挙では6名をふやして39人になっている。

これまで第五位に位していた中曽根派は第四位になって大勢力である。
ーポスト福田をめぐっては中曽根は大平のライバル。しかも宮沢喜一、小坂徳三郎、竹下登、安倍晋太郎、あるいは三木派の河本敏夫と比較すれば 総裁への至近距離にある。
と見られている。それだけに福田はいよいよ政権の座につくとなれば、中曽根との “上州連合” を組む必要がある。福田は長老の保利茂に
「中曽根君に協力を求めたいんだが、あんたから口説いてもらえんだろうか……」
と相談をもちかけた。
保利は極秘のうちに赤坂の料亭で中曽根に会った。中曽根は
ーしばらくは政塵を避けて時を待つ。その間に勉強をする。これに徹する。
という心境であった。保利から
「三木から福田へ……円満円滑に政権を移譲させるべきだと思っとるが、君の協力を得たい」
といわれた時、中曽根はあっさりと
「いいでしょう」
そう応じた。
「いや、有り難い……」
この席では先の三木おろしの場合とは違って 保利が低姿勢だった。
「で、なにか、注文があれば承る……」
そういう保利に対して中曽根はいった。
「一つ……だけ、いわせていただきます」
「なにかね？」

「こういう時代になったのですから……閣僚人事は、うんと若返らせていただきたい」
それは幹事長時代から中曽根が考えていたところだった。
「もちろん そのことはわしも必要だと思っとる。福田君にしても今度の総選挙をみて、痛いほど思い知ったはずだ……」
後には中曽根は 群馬県出身の財界人の会合に臨んで
「郷土の先輩である福田氏が 後継者となることが望ましい」
と明言することになった。12月15日である。

私と安田の二人が奥の部屋で何か書き物をしていた。鈴木善幸と斎藤邦吉の二幹部がこの部屋に入ろうとして顔を出した。私の顔を見た鈴木は急に足を止めてひっこんでしまう。「何か悪いものを見てしまった」というか「悪いところを見られてしまった」というか、妙にぎこちない顔であった。私は鈴木が「ある思いで私を見ている」ことを意識するようになった。ある思いとは「組閣の人事だ」ということがしばらくして判った。
三木首相は予想に反して全然動かず、大平にも近づかなかった。官邸に出て日常の政務を続けながら ただ一日一日を過ごしてゆく。 いろいろの噂が立った。
(伊藤昌哉)

「総裁公選規定の改正を福田がのむか否かで三木は脱党するのではないか」というのだ。
大平と福田の周辺では次期政権についての人事構想が色々と練られていた。私は12月15日、大平と会って組閣についての考えを述べた。
「田中派の扱いが重要だ。鈴木善幸は西村英一を副総裁に送りこみたいと考えているが早すぎないか、参院選挙後でいいと思う。三役には西村の代わりに江崎真澄を使うべきだ。副総理は保利ではないか。議長は灘尾弘吉だろう。鈴木は入閣したがっている」
それまでふんふんと聞いていた大平は
「本当に鈴木はそう思っているのか。おれが君は入れと鈴木にいったら、小川平二にしてくれ、おれのことは福田にきいてくれ、といっていた」
といった。
「福田にきけ、というのは、福田はおれには好意的ではないから使いたくないと思っているのだろう」という意味だ。鈴木は園田直を通じて福田の感触をきいていたのかもしれない。椎名構想をもち歩き、大福提携に乗り気でなかった鈴木としては当然気になるところである。おそらく各派の幹部の間では福田政権という新しい体制が出来ることについて、入閣者の顔ぶれにつき自薦他薦の動きがあったはずだ。